北欧デンマークFritz Hansen(フリッツハンセン)社による、巨匠Arne Emil Jacobsen(アルネ・ヤコブセン)デザイン セブンチェア2脚セットです。
「セブンチェア」は、アントチェアから3年の後、1955年にヤコブセンが創出した1脚。デンマークの国民椅子として現在でも、コペンハーゲン空港やデンマークデザインセンターなど多くの公共施設に採用されています。通常は7万回を上限とする強度試験に20万回も耐え、美しさと堅牢性が見事に融合しているデザインとクオリティーの高い逸品です。記憶に残る永遠の曲線美。スチールパイプで支えられた軽快なフォルムはバタフライチェアの愛称を持っております。
フリッツ・ハンセン / Fritz Hansen 北欧モダンデザインのアイコン的存在で、数々の名作を産んだデンマークのブランド。25歳の若き家具職人フリッツ・ハンセン は、1872年にコペンハーゲンで家具の部材メーカーを創業します。そして1885年にオリジナル家具の製造会社を設立し、2年後にはコペンハーゲンの中心地に製作所を立ち上げます。その確かな技術により、高品質のメーカーとして評価を高めていきました。1899年、フリッツ・ハンセンの息子であり後継者のクリスチャン・E・ハンセンが事業を引き継ぎます。この頃になると重要なプロジェクトへ関わるようになり、クリスチャンボー城、デンマーク国会議事堂、コペンハーゲン市庁舎など、大規模な建造物の家具を次々に手掛けました。1920年代に入ると新素材や新たな生産技術を積極的に導入していきます。工業メーカーへと大きく成長する中で、クリスチャン・E・ハンセンはスチームによるブナ材の曲げ木を使った実験を開始します。進化を続けた曲げ木の技法は1930年代に確立し、フリッツ・ハンセンはこの分野において世界に先駆ける存在となりました。この時期から、才能豊かな気鋭デザイナーや建築家とコラボレートした家具を製作します。アルネ・ヤコブセン、ポール・ケアーホルム、ハンス・J・ウェグナー、ヴィコ・マジストレッティといった、一流のデザイナーたちとフリッツ・ハンセンの革新的な技術と高いクラフトマンシップが融合し、数多くの歴史的な傑作・名作を残しました。特に、アルネ・ヤコブセンがデザインし1952年に発表した成型合板の椅子アリンコチェア、1958年発表のエッグチェアやスワンチェアは、デンマーク家具の歴史において最大の成功を収めた作品となり、北欧家具の価値を大きく高めました。フリッツ・ハンセンは今日の工業化された製造手法のパイオニアであり、その製造技術の緻密さにも定評があります。家具の歴史を語る上で欠かせない存在であり、今なお愛され続けるビッグブランドです。
アルネ・ヤコブセン / Arne Emil Jacobsen (1902-1971) モダン様式の代表的な人物の一人で、数々のベストセラーを生み出した建築家、デザイナー。デンマークデザインの父と呼ばれる人物。1902年、デンマークの首都コペンハーゲン生まれ。当初は画家を目指していたが、父親に反対され、1921年に家を出る。その後、建築の道に進み、1924年にデンマーク王立美術学院に入学。在学中の1925年に、カイ・フィスカーの下でパリ万博・デンマークパヴィリオンに展示された椅子の設計に参加している。1927年に卒業後、パウル・ホルセーの事務所に入る。1929年、友人のフレミング・ラッセンと共に発表した、モダニズム形式の「未来の家」がデザインコンペで受賞し注目を集める。同年に事務所を設立し様々な建築を手掛けるが、1940年、ナチス・ドイツによってデンマークが占領されると、ユダヤ人だったヤコブセンは迫害から逃れるためにスウェーデンへ亡命する。大戦終了後、デンマークへ戻り建築設計の仕事を再開。1950年代に入ると家具デザインも始め、アントチェア、セブンチェア、エッグチェア、スワンチェア、などの作品を続けて発表し、世界的なデザイナーとなっていく。特に、評価の高かったアントチェアの後継として1955年に発表されたセブンチェアはヤコブセンの代表作であり、没後も数多く生産され現在でもファンが多い。余計な装飾をせず、使いやすくシンプルな機能美への追求がなされた数々の名作を生み出し、欧米各国で多数の賞を受けている。また、ヤコブセンがデザインした時計も、セブンチェアと同様に現在でも多くのファンがいる。建築や家具に留まらず、テキスタイル、テーブルウエア、照明など、そのデザインは多岐に渡った。デンマーク王立芸術学院やオックスフォード大学などで教鞭をとり、晩年の最高傑作と言われ遺作でもあるデンマーク国立銀行の建築を手がけるなど、晩年まで長く活躍した。
- 商品ID : 38132
- 無料査定も承ります
- 使用感などは写真掲載の通り
サイズ(単位mm)
- x2 幅 500 奥行き 520 高さ 770 座高 430
*若干の誤差は御了承下さい。
主な素材
- ビーチ材成型合板(ラッカー仕上げ)
- 脚:スチール(クロームメッキ仕上げ)
現行セブンチェア(ラッカー仕上げ)の参考定価 88,000円(税込)
*商品コンディションは詳細画像にて必ずご確認お願いします。
定価 (300~500 と記載)
北欧デンマークFritz Hansen(フリッツハンセン)社による、巨匠Arne Emil Jacobsen(アルネ・ヤコブセン)デザイン セブンチェア2脚セットです。
「セブンチェア」は、アントチェアから3年の後、1955年にヤコブセンが創出した1脚。デンマークの国民椅子として現在でも、コペンハーゲン空港やデンマークデザインセンターなど多くの公共施設に採用されています。通常は7万回を上限とする強度試験に20万回も耐え、美しさと堅牢性が見事に融合しているデザインとクオリティーの高い逸品です。記憶に残る永遠の曲線美。スチールパイプで支えられた軽快なフォルムはバタフライチェアの愛称を持っております。
フリッツ・ハンセン / Fritz Hansen
北欧モダンデザインのアイコン的存在で、数々の名作を産んだデンマークのブランド。25歳の若き家具職人フリッツ・ハンセン は、1872年にコペンハーゲンで家具の部材メーカーを創業します。そして1885年にオリジナル家具の製造会社を設立し、2年後にはコペンハーゲンの中心地に製作所を立ち上げます。その確かな技術により、高品質のメーカーとして評価を高めていきました。1899年、フリッツ・ハンセンの息子であり後継者のクリスチャン・E・ハンセンが事業を引き継ぎます。この頃になると重要なプロジェクトへ関わるようになり、クリスチャンボー城、デンマーク国会議事堂、コペンハーゲン市庁舎など、大規模な建造物の家具を次々に手掛けました。1920年代に入ると新素材や新たな生産技術を積極的に導入していきます。工業メーカーへと大きく成長する中で、クリスチャン・E・ハンセンはスチームによるブナ材の曲げ木を使った実験を開始します。進化を続けた曲げ木の技法は1930年代に確立し、フリッツ・ハンセンはこの分野において世界に先駆ける存在となりました。この時期から、才能豊かな気鋭デザイナーや建築家とコラボレートした家具を製作します。アルネ・ヤコブセン、ポール・ケアーホルム、ハンス・J・ウェグナー、ヴィコ・マジストレッティといった、一流のデザイナーたちとフリッツ・ハンセンの革新的な技術と高いクラフトマンシップが融合し、数多くの歴史的な傑作・名作を残しました。特に、アルネ・ヤコブセンがデザインし1952年に発表した成型合板の椅子アリンコチェア、1958年発表のエッグチェアやスワンチェアは、デンマーク家具の歴史において最大の成功を収めた作品となり、北欧家具の価値を大きく高めました。フリッツ・ハンセンは今日の工業化された製造手法のパイオニアであり、その製造技術の緻密さにも定評があります。家具の歴史を語る上で欠かせない存在であり、今なお愛され続けるビッグブランドです。
アルネ・ヤコブセン / Arne Emil Jacobsen (1902-1971)
モダン様式の代表的な人物の一人で、数々のベストセラーを生み出した建築家、デザイナー。デンマークデザインの父と呼ばれる人物。1902年、デンマークの首都コペンハーゲン生まれ。当初は画家を目指していたが、父親に反対され、1921年に家を出る。その後、建築の道に進み、1924年にデンマーク王立美術学院に入学。在学中の1925年に、カイ・フィスカーの下でパリ万博・デンマークパヴィリオンに展示された椅子の設計に参加している。1927年に卒業後、パウル・ホルセーの事務所に入る。1929年、友人のフレミング・ラッセンと共に発表した、モダニズム形式の「未来の家」がデザインコンペで受賞し注目を集める。同年に事務所を設立し様々な建築を手掛けるが、1940年、ナチス・ドイツによってデンマークが占領されると、ユダヤ人だったヤコブセンは迫害から逃れるためにスウェーデンへ亡命する。大戦終了後、デンマークへ戻り建築設計の仕事を再開。1950年代に入ると家具デザインも始め、アントチェア、セブンチェア、エッグチェア、スワンチェア、などの作品を続けて発表し、世界的なデザイナーとなっていく。特に、評価の高かったアントチェアの後継として1955年に発表されたセブンチェアはヤコブセンの代表作であり、没後も数多く生産され現在でもファンが多い。余計な装飾をせず、使いやすくシンプルな機能美への追求がなされた数々の名作を生み出し、欧米各国で多数の賞を受けている。また、ヤコブセンがデザインした時計も、セブンチェアと同様に現在でも多くのファンがいる。建築や家具に留まらず、テキスタイル、テーブルウエア、照明など、そのデザインは多岐に渡った。デンマーク王立芸術学院やオックスフォード大学などで教鞭をとり、晩年の最高傑作と言われ遺作でもあるデンマーク国立銀行の建築を手がけるなど、晩年まで長く活躍した。